このバス停には時刻表はない

 

 

 

新学期が始まる。

新学期からは行く、と言っていたのに。

「またか」
「やっぱりか」

そんな思いを抱えている人も多いだろう。

学校に行けないまま、
時間だけがどんどん過ぎていく。

昼夜逆転、ゲーム三昧。
家族との会話はほとんどない。
部屋にひきこもったままの生活。

こんな状態でいいわけがない。
一体いつまでこんな状態が続くのか。

ジリジリと焼かれるような思いの毎日。

そんな方も多いと思う。

キツいですよね。
わかります。

もう12年も前のことだけど、
僕もそうだった。

詳しくはこちらをどうぞ。

でもね、子どもの不登校を経験した
「十年選手」として、一個だけ
わかっていることがある。

それは子どもの不登校には
魔法も特効薬も方程式もない、
ということだ。

そしてかなりの長期戦になる。

僕も最初は数ヶ月でなんとか
解決できれば、なんて思ってた。

今か今か、と待っていた。

でもね、よくこの界隈では
あるあるの嘆きでもあるけれど、

「いつまで見守ってればいいんですか?」

というこのキレ気味の質問に、
あえて厳しくぶっちゃけて回答する。

「待つのは永遠です」

というか、もっと平たく言うと

「待つのはやめたほうがいい」

なぜか?

本人が動き出すタイミング。
それは誰にもわからないから。

要するに、
このバス停には時刻表はないんです。

だから待つのはやめたほうがいい。

「いつ来るの?」
「まだ来ないの?」

そう思って待っていると、時間はそれこそ
永遠にかかるように感じられてしまう。

「ねえ、いつまで待たせる気なの?」
「ちょっといい加減にしてくれる?」

そんな風に相手を非難したくもなる。

でもそれはお互いにとって悪感情以外、
何をも生み出すことはない。

いいことなんてひとつもない。

そうですよね?

だったらここはもう、腹を括りましょうよ。
このバス停には時刻表はないんだから。

つまり一旦、待つのは強制的にやめてみる。

子どもが部屋にひきこもっている状態。

それを一旦、戦略的に留保する。

そう、まずは戦略的にでいい。

要するに、関与を手放す。
自分のことに集中する。
自分の楽しいこと、
やりたいことを粛々とやる。

そういう生活を送ることにもっと注力する。
バス停からはもう離れてみる。

「不登校? そーねー、
これがいつまで続くのかね?」

そうやってちょっと突き放して考えてみる。

子どもは子ども。
自分は自分。

子育ては親の責任?

いやいや、それはもう、食事と寝床と
何より安全を提供しているだけで十分。

「ペンション金子家へようこそ」

そんなふうには、、、

とても思えないでしょうけど。

とても思えないでしょうけど、
一応僕も「十年選手」ではあるのでね。

偉そうに先輩面して言ってみました。
今は僕はこう思っています、と。

渦中にあるときは届きにくいことも
重々、知りつつなのですが、

あなたに少しでも響けば嬉しいなと。

今日も良い1日を。

P.S.
一緒に歩きながらおしゃべりしませんか?
不登校の子を持つ親同士、同じ悩みを抱える仲間だからこそ、通じ合うものもあります。
朝のひととき、自然の中を歩きながら一緒に話しましょう。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在20歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。