美良生(みらい)君の同級生の女の子には、
美良生君がダウン症だという概念がない。
だから奥山佳恵さんと三人で公園に行くと
彼女は普通に「鬼ごっこしよう」と言う。
正直しんどいなあと奥山さんは思いながら、
彼女と美良生君と三人で鬼ごっこを始めた。
すると、、、
そんな思いで始めたら、彼女から早々に「走るんじゃなくて、早歩きにしよう」と提案がありました。私と美良生の足は予想していたより遅かったようです。
こういった工夫は「合理的配慮」と呼ばれるものだと思っていましたが、最近、教育学者である池田賢市さんのトークイベントにオンライン参加し、もっと正しい観点で言うと「合理的調整」であることを知りました。
なるほど。確かにその方がグッとピンとくる。子どもたちが美良生と遊ぶ時に無意識にしてくれていることは「配慮」よりも「調整」だ。みんな、美良生と遊びたいから、どうしたらいいかをその場で考え、「調整」している。「障がいがある子だから支援している」と思って遊んでいる子はいない。調整して、お互いに対等な立場になる。その方が純粋に楽しいから。
配慮でなく、調整。
この視点はとてもわかりやすくて、
とてもいいなあと思った。
「配慮」という言葉には、
個人的にはどうしても緊張を感じる。
間違えちゃいけない。
きちんと「配慮」しなければいけない。
そんな潜在意識が入り込みがちで、
正直ちょっと窮屈だったりする。
でも「調整」はもっと気楽だ。
やりながら合わせていけばいい。
間違えたり、うまくいかなければ
そこで少し変えていけばいい。
本当にちょっとした違いだとは思う。
もしかしたら言葉遊びみたいに
響く人もいるのかも知れない。
でも上から「配慮」するのか。
横からときにぶつかりあいながら
「調整」するのか。
そこには確かに
心持ちの違いがある気がした。
「できないあなた」を「できる」ようにする、という考え方ではなく、「できないあなた」が「できる」ようにするにはどうしたらいいか。
変わるべきは、人ではなく環境。次男も私も、足は遅いままで何の問題もないのです。
短い記事だけど、とっても良かった。
その通りだよね。
今日も良い1日を。
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