不登校に悩む間、僕らが本当に知りたかったこと

5年前、忍介が小学三年生で
不登校になったとき。

午後半休を取っては、
うちの奥さんと二人、小学校へ行った。
担任の先生、学年担当の先生、
校長先生と何度も話し合った。

当時、忍介が通っていた小学校では
5年生の子が一人、不登校だったけど、
他にそういう子はいないということだった。

今はどうか知らない。
多分、もっと増えているんだと思う。

情報も今よりずっと少なかった。

そして以前の記事にも書いたけど、

不登校という言葉を口にするのも憚られた

2018.12.06

家族以外の人に、ほぼ誰にも
息子の不登校を話すこともなかった。

話せなかった。

僕ら夫婦はひっそり孤独に
不登校と向き合ってきた。

今まさにそうだ、
という人も多いだろう。

だからこそ今、僕らに何か
できることがあるならば、という想いで
今回のインタビュー事例集を企画した。

あの当時――、

僕らが欲しかったのは、お説ごもっともな
アドバイスなんかじゃなかった。
安全地帯から「かわいそうに」と
同情されることでもなかった。

それよりも実際、不登校を経験した人たちの
リアルな声、等身大の事例が知りたかった。

でも、僕らの周りには誰も
そんな人はいなかったし、
そういうことを教えてくれる人もいなかった。

5年前、あの頃の自分たちが
本当に欲しかったものを作りたい。

その想いで今回、この事例集を作った。

たとえ不登校だったとしても、不登校が自分のすべてではないですよね。一部なだけなんで。全部と比べたらわずかしかなくって。
ついつい未来に対してネガティブになってしまいますけど、でも未来はまだできてないので。(風芽美空さん)

私は私にしかなれない。
子どもたちも同じなんです。お母さんが代わって学校に行くことはできないし、お父さんが代わってやってあげることもできないんです。(竹内春雄さん)

(不登校はひと言で言うと)自由への扉かな。
息子が不登校にならなかったらこんなに日々、息子と楽しく暮らしてなかったかも。
どんなふうにもシフトチェンジしていけるって今は思っているので、本当に自由がいっぱい詰まってる時間だなって。(米澤美法さん)

今、手元の冊子をパラパラとめくって
目についた言葉を挙げてみたんだけど、

それぞれのみなさんのバックボーンを
知った上でこれらの言葉に触れると、
さらにジーンと感じ入るものがあると思う。

不登校をテーマにしたインタビュー事例集、
『雲の向こうはいつも青空』。

本日から発売です。
ぜひ手にとって、読んでみてください。

http://beans-n.com/lp/behind-the-clouds-vol1/

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。