『居場所のちから』という本を読んだ。
NPO法人フリースペースたまりば理事長、
西野博之さんの本だ。
自分で言うのもナンだけど、
僕は本を読むのは早い方だと思う。
200ページくらいの本なら
たいてい1時間ちょいくらいで読める。
でも同じ200ページの本でも
この本は2時間半以上かかった。
それくらい本当にとっても密度の濃い、
ずっしり来る本だった。
ぜひ学校の先生や教育に携わる人、
居場所を運営する人には
読んでもらいたいと思った。
金を払う側ともらう側を分けるものは
いろいろと紹介したい箇所は
それこそ星のようにあったのだけど、、、
特に第3章、
「こだわりつづけた「居場所」のスタイル」
で書かれている「経済の垣根」には
いろいろと考えさせられた。
要は、お金の話だ(大事ですよね)。
- 会費を払う人
- 会費を払わずボランティアで参加する人
- そして報酬をもらうスタッフ
居場所に通うこの3者の間にある
境目はいったいなんなのか?
例えばボランティアの人は
「誰かの役に立っている」
だから会費を払わない――。
本当にそれでいいのだろうか?
この論理でいくと会費を払って通ってきている会員のひとは、誰の役にもたたない存在、ケアされるためだけにきているということになってしまう。(中略)
では「場」のなかで、もしそのボランティアを必要としないというとしたら、そのときの基準はいったい何か。その論理は何か。そのとき自分も含めてスタッフとはなんぼのものなのか。ひとの役にたつということが人間関係のなかで一方通行でありえるのか。一方的にケアされるだけの存在なんてありえるのか。そのとき、金を払う側ともらう側を分けるものは何か。
この問いに対するこだわりを起点として、一方的に援助するひと・されるひとの関係をつくらないために、思い切ってタダで「場」とかかわる存在を認めないことにした。「場」を維持するのにお金がかかる以上、多少なりとも負担しあってみんなが会員となり、お互いに育ちあおうという趣旨で、結局わたしたちスタッフもお金を払うことにした。
こうしてボランティアを廃止して、会費を
定額制から「任意自己申告制」に変えた。
「来たい人は誰でも」と大きく舵を切った。
このあたり、なんというか本当に
本質にしっかり向かい合ってると思ったし、
こうした模索や試行錯誤を経て今の
奇跡のように素晴らしい公設民営の
「フリースペースえん」につながったこと、
それが本当に素晴らしいなと思った。
覚えておきたい不思議な呪文「だ・も・ど」
最後の「居場所のスタッフ心得15か条」も
とても良かった。
中でも特に一番好きだったのがこれだ。
煮詰まらないで「だ・も・ど」
いったい「だ・も・ど」とは???
万策つきたら「だ・も・ど」と、そっとつぶやいてみよう。「だーってしょうがないじゃん」「もーすんだこと」「どーっちだっていいじゃん」。これはわたしたちNPO法人「フリースペースたまりば」の理事であり、いつも力強い味方である教育評論家の斎藤次郎さんが生み出した不思議な呪文だ。むすかしい問題が目の前に現れて行く手をふさいだときに、これをそっと唱える。すると、なぜか肩の力が軽くなってくるかた不思議だ。
いやあ、コレ、確かに覚えておきたい
なんとも素敵な呪文じゃないか。
「だ・も・ど」!!!笑
今日も良い1日を。
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