日本語の「社会人」って不思議な表現だよね

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「海外では」「欧米では」

と「では」ばかり言うと今日び
「出羽守」と揶揄される。

なんでもフィンランドが素晴らしい、
とは僕は思わない。

というか「あえての逆バイアス」で
素晴らしいと思い過ぎないように見ている。

思い過ぎないように見ているのだけど、、、

かの国では保育園児のころから
市民教育が始まるとの由。

例えば?

保育園児でもクラスのシンボルマークを
決めるようなときには、模擬選挙を行う。

それによって自分の意見を持つことや、
相手にわかってもらうように話すことの
重要性、そして投票というシステムも
自然に学ぶことができる、と。

いやあ、すげーなフィンランド。

だって保育園児だよ?
3歳とか5歳とかの話だよ?
もうその年齢から議論と模擬選挙かよ?

日本じゃスーパーでグズったりした日にゃ
「うるさい! 静かにしなさいッ!」って
普通にお母さんに怒鳴られてるお年頃だよ?

――という、感想自体。

僕のまだまだ頭の固いところだ、
というのを痛烈に思い知らされたのが、

「日本語の社会人は不思議な表現」

というこのくだりだった。

私が思い出したのが、日本に住むフィンランド人の友人が言っていた「日本語の『社会人』って不思議な表現だよね」という言葉だった。彼の主張は「学生が終わって就職したから社会人というのは変で、『社会の人』というのなら、学生だって子どもだって立派な社会人じゃない?」というもの。

これはフィンランド人の間で共有されている感覚を見事に言い表していると思う。年齢も性別も学歴も関係なく、一人ひとりが社会の一員であって、誰もが社会を良い方向に変える力があるというのがフィンランドの発想なのだ。

まったくその通り過ぎてぐうの音も出ない。

いや、そうなんだよね。
これを読んで本当に思った。

自戒を込めて言うのだけど、僕らには
「社会人」というおかしな常識がある。

っていうか「概念」かな?

そしてここには
「稼いでいて初めて一人前」
という、暗黙の冷たい前提がある。

でも本来はそうじゃないよね?

社会の人、ということが文字通りなら
学生だって子どもだって立派な社会人だ。

言われてみればシンプルな話だ。

もちろん、こう書きながら
僕が完全にストンと全部、
キレイに腑に落ちているわけじゃない。

でも行きつ戻りつであったとしても。

就職した成人だけが社会人だというのは
不思議な表現だ、という見方があること。

それを少しずつでも
思い返す機会を増やしていくこと。

年齢も性別も学歴も関係なく、一人ひとりが社会の一員であって、誰もが社会を良い方向に変える力がある

これをしっかり意識したいよなあと。

あ、一応補足ですが、
さっきからもうずっと
自分に言い聞かせてるんですよ。

しっかり意識したいよなあと。

ご静聴ありがとうございました。笑

今日も良い1日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。