九州へ行くたびにひとつ感じることがある。
JRの電車のデザインが素晴らしい、
ということだ。
「本当にここは日本ですか?」
と思うくらい、普段使いの通勤電車まで
デザインも内観も、まるで欧州のように
素敵でビューティホーなのだ。
それはJR九州がこだわっているからだ、
とはうちの奥さんから聞いて知っていた。
その車両デザインを一手に担当している
ドーンデザイン研究所代表水戸岡鋭治さんの
「だから日本には「美しい文化」が必要だ」
という日本講演新聞3月20日号記事を読んだ。
読めば読むほど、
「ああ、あのデザインは
こういうこだわりが根底にあるからなのね」
といちいち合点が行ったのだけど、
ひとつ、これは真理だなと思ったので紹介。
通勤通学で使われる電車の
デザインをしたときの話だ。
木の座席に本革張りのクッションを付けた
座席のデザイン提案をした。
そのとき担当者からはこう言われたという。
「水戸岡さん、そんないい素材を使って
座席を作っても、どうせ不良少年たちに
切り刻まれちゃうのがオチですよ」と。
まあ、普段使いの通勤通学の電車だ。
担当者が危惧する気持ちも
個人的にはわからないでもない。
でも実際に車両が走り始めても、
誰も本革張りのクッションを
切り刻むようなことはしなかった。
水戸岡さんはこう言う。
子どもをバカにしちゃいけません。子どもは大人をよく見ています。安っぽい素材で作るから、子どもは軽く考えて扱うのです。
でも、自分たちが想像する以上のものを提供されたら、子どもたちは「これは傷つけちゃいけない」と分かります。子どもたちは大人より遥かに敏感なのです。
(中略)
子どもが感動するようなものを精一杯作って提供するのが私たち大人の義務です。
最高のものを享受することは子どもの権利です。でも今の日本では、そうした義務と権利の関係がうまくいっていないように思います。
本当にその通りだと思ったし、
「義務と権利」という部分、
これはまったく義務教育そのもの、
じゃないだろうか?
子どもは最高のものを享受する権利がある。
大人には最高のものを提供する義務がある。
本来はそういう話だ。
でも現実どうだろう?
その関係、果たして今のこの国で
うまく機能しているだろうかと。
親は子どもを無理くりただ学校に行かす。
学校側も「ここに来るのは当然」とばかり。
そんなヘンテコりんな安っぽい義務に
成り下がっていやしないだろうかと。
いきなりちょっと広げすぎたか。
でもね、
「子どもをバカにしちゃいけない」
これは真理だ。いや、本当に。
不良少年たちが切り刻むのは、
切り刻まれて仕方のない、
手を抜いたものだからなんじゃないか?
そういう自省が、もっと
我々の側にあっていいんじゃないか?
と思った次第。
そしていつの日か、
「ななつ星」乗ってみたいな。
今日も良い1日を。
P.S.
びーんずネット5周年を記念して「心に響いた一節」を募集しています。
募集していますが、、、目下、非常に投票数が淋しいです(泣)。
「5周年おめでとう」でも良いので、何か一言でもいただけると嬉しいです。
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