ツルカメ算を質問される
昨日の朝、ブログを書いていたら
忍介が教えて欲しいと訊いてきた。
いわゆるツルカメ算の問題だ。
小学校6年生の夏休みだっけ、
僕も父に何度も教えてもらったなあ。
ここはひとつ、父親として
いいとこみせてやろう。
真剣に聞く忍介に向かって、
ホワイトボードにつらつら
式を書き出したのだけど、、、
あれ?
解けない…。
「ごめん、マジでわかんないや。
ちょっと時間ちょうだい」
父の面目、まるでなし。
忍介にそう断わって、
書きかけのブログをアップした後、
ネットでツルカメ算を検索。
いくつか、こちょこちょ
メモに書き出して解いてみる。
30年以上前の記憶が蘇ったところで、
ようやく正解にたどり着いた。
ダメダメじゃん、俺…。
そう思う気持ちと、
いや、47歳成人男子だって
ツルカメ算が解けない。
そういうもんだし、
それで全然平気だという実例を
身を以て見せられたじゃないか、
という気持ちと、ないまぜだった。
「わからない」と言える大人が必要
そんなこんなの後。
不登校新聞を読んでたら
「子どもに『わからない』と言える
大人が必要ではないか」説
という、フリースクールスタッフ上村さんの
コラムが目に入った。
要約する。
- 何を聞いても「ふつう」「めんどくさい」と答える子が増えた
- 子どもたちは「わかりません」が言えない
- 「わかりません」は子どもには魔のキーワード
- 言うと「なんで?」「この前習ったでしょ?」と大人が不機嫌になる
- そのくせ大人は「お前の気持ちもわかるけど」と言う
- いったい自分の何がわかると言うのか
だから、大人から「わからない」と言うのが大切ではないだろうか。子どもに「わからないから話をしよう」「わかりたいから話をしよう」と。そうしたスタンスの大人がいれば、きっと子どもたちにも伝わるだろう。
「わかりません」をきっかけにしたコミュニケーションってとても大事だなと感じている。
僕がツルカメ算を「わからない」と
言うのとはぜんぜん意味が違うんだけど、
でも本当にその通りだなあと思った。
子どものわからない、に不機嫌にならない。
子どもにわからない、と言える大人が必要。
あ、ツルカメ算解けなかった言い訳で
コレ書いてるんじゃないですよ。
念のため。笑
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