子どもが不登校になる。
そうすると、
子どもを見守りましょう、と言われる。
余計なことはせず、余計なことは言わず、
差し伸べたい手は、ぐっと我慢して。
注意深く子どもの様子を見る。
でも、どれだけこちらが静かに
我慢して見ていても――。
ゲームで昼夜逆転、勉強は遅れに遅れる。
むしろ見守るように決めてから、事態は
より悪くしかなっていないように思える。
子どもが辛いのはわかるけど、
親だって辛いし悲しい。
学校に行けないとわかっていても、
本当に見守ることしかできないのか?
親として他にできることは
何かないのだろうか?
もう誰かに相談するのも疲れた…。
そんなふうに感じている方には、
ぜひ読んでほしいと思った記事だった。
10月15日付けの不登校新聞、
函館圏フリースクールすまいる庄司証さんの
「すまいる式 子どものわかり方」。
「見守る」ために大切だと私が思うポイントは「子どもについて知らないことをどれだけ増やしていけるか」ということです。こう書くとおかしなことに聞こえるかもしれませんが、子どもにとって見守られていることへの緊張感をどれだけ取りのぞけるか、ということです。言うまでもなく、見守ることは監視することではないからです。
見守られていることへの緊張感を
どれだけ取りのぞけるか。
これは我が身に置き換えて考えてみても、
確かにその通りじゃないだろうか?
悩んでいるとき、苦しんでいるとき。
その姿は他人には見られたくない。
そうですよね?
それがたとえ親だったとしても。
いや、むしろ思春期であるなら余計に。
夜、家族が寝静まった後に
子どもが動き出すのはなぜか?
誰かの視線を気にする必要がない。
自分の姿を見せなくてすむから、
という側面があると思う、と庄司さん。
そういう中で、自分の内面を見つめたり、
あるいは休息したりしているのだ、と。
「子どもが元気になった」
と話す保護者に聞くと、
「様子はよくわからないけど、
なんか元気になった」
と答える方が多いという。
子どもについて知らないことを増やす。
大切なのは、どれだけ知らないことを
増やしていけるか――。
そうして親が気を配る負担を減らせば、
親の側にも心の余裕ができる。
親に余裕ができると、
子どもへのまなざしも優しくなる。
今日も良い1日を。
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