何度も書いているけど、
僕が自分の考えを変えるきっかけになった
一番は、この本と出会ったことだ。
田中茂樹「子どもを信じること」
忍介が不登校になって、
ずっと家に引きこもるようになって、
忍介のことで派手に夫婦喧嘩をして
翌朝、この本を読むように勧められた。
この本を読むことは苦しかった。
こんなに読むのが苦しい本はなかった。
なぜ苦しかったのか?
自分の育児に関する価値観の歪みを
ことごとく指摘された気がしたからだ。
そして、その指摘のことごとくが
「おっしゃる通り」だった。
読みながらそれがわかった。
わかったけど、自分のダメさ加減を
隅々まで指弾されたような気がした。
ぜんぶ自分に向けて
書かれているみたいだった。
だから反発する気持ちがあった。
ありながら、でも一方で
「この人の言っていることは、
多分、ことごとくその通りだ」
と思っている自分がいた。
だから読んでいる最中は本当に苦しかった。
読み終わって、推奨されている
「アイスクリーム療法」を実行した。
そして、少しずつだけど、
子どもを信じる、という
僕にとっては新しい価値観を
受け入れるようになった。
今朝、久しぶりにこの本を手にとって
パラパラと読み返してみたんだけど、
当時本当にハッとさせられた言葉が
たくさん並んでいた。
今あらためて読み返してみても新鮮だった。
目に止まったところを少し紹介する。
私は、不登校を困ったことだとは考えていません。その理由は、後でも書きますが、学校に行かないという行動は、子どもが勇気を出して自分を守るためにとっている行動だからです。
それは、なかなか自分を守ることができなかった子が、追い詰められてようやく決心して敢行した、いわばストライキのようなものです。この勇気ある行動によってはじめて、親や家族、担任の先生やクラスメートたちは、その子が苦しんでいたことを知るのです。
この
「不登校は勇気ある行動である」
という発想は当時の僕にはなかった。
でも、言われてみればその通りだと思う。
子どもだって、自分が学校に行かなければ
大人がどういう反応をするかぐらい、
十分にわかっている。
その上での必死の覚悟のストライキなのだ。
その訴えに耳を貸そうとしないのは、
デモ隊に発砲するようなものだと思う。
子どもを信じるということは、都合よく考えて放任することではないのはもちろん、見守っていれば失敗しないだろうと信じることでもありません。そうではなく、失敗するかもしれないけれども、失敗してもまた立ち上がる強さを持っていると信じるのです。自分の子どもは信じるに値する子だ、大事にするのに値する子だと信じるのです。親から信じてもらえることこそが、子どもにとって決定的に大切な勇気の源になります。
今読んでも本当にぐっと来る。
そうなのだ。
子どもを信じるということは、
失敗するかもしれないけれども、
失敗してもまた立ち上がる、
その強さを持っていると信じること。
自分の子どもは信じるに値する子だ、
大事にするのに値する子と信じることだ。
僕があんまりあれこれ書いても
興ざめなだけなので、
今回は紹介に徹するということで…。
最後にもうひとつ、あとがきから抜粋。
必要な人に届きますように。
結局のところ、子どもを信じる、ということは、かつて子どもであった自分を信じること、そして、今の自分を信じることであると、私は思います。自分を信じて、そして、子どもを信じて、親として子どもに接していくことが、子どもを幸せにすることにつながると、私は考えています。
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