不登校新聞1月15日号
「2人の息子が不登校、父親の本音は」
を読んだ。
むらきちさんという父親の話だ。
漢字のトメハネハライに厳しい先生に
何度もやり直しをさせられ、
小学校4年生の長男は不登校になった。
そして小学校に入学した次男は
入学式含め3日で学校に行かなくなった。
詳細は割愛するのだけど、
不登校を通じて、自身の働き方も
子どもたちへの接し方も大きく変わった。
そして今、2人のお子さんの不登校を
むらきちさんはギフトだと思っている、
という。
なぜギフトだと思うのか?
子どもの不登校を通して自分自身の
課題が浮き彫りになったからだ。
父親の多くは世間の眼や社会の価値観と対峙するなかで、一生懸命がんばり「休みたい」なんておいそれと口にするわけにはいかない。そんな気持ちではこの社会を渡り歩いていけないと思い、必死になっているわけです。そんなときに子どもから「休みたい」と言われてしまう。これは受け入れがたいし、見たくもない。なんだったら無きものにしたいと思う父親もいるかしれない。だから「学校へ行け」という考えになる。
これは僕も本当にそうだった。
受け入れがたいし、見たくもない。
なんなら無きものにしたい。
息子が不登校になった2013年は、
ちょうど4社目に転職した年だった。
小さな会社だったけど、
責任者として部門も任された。
結果で周りに認めてもらう必要があって、
しゃかりきになっていた。
そんなとき――。
「嫌だから学校を休みたい」
というのは甘えだと思った。
弱さだと思った。
この先の将来に甚大な影響があると思った。
だから
「これは克服しなければならないことだ」
というスイッチが、ググググーッと入った。
でも「休みたい」という子どもの気持ちに、父親自身も少しだけシフトしてみたらどうかと思うんです。そうすると「本当は俺もしんどいし休みたい」という父親自身の本音も見えてくるだろうし、「本当に休めないのか」という問いも出てきます。むしろ、自分自身で休めないようにしてはいないだろうかって。
このように、多くの父親にとって、不登校は「やっかいな問題」だと思います。でも、その「やっかいな問題」のなかに、父親自身が抱える課題につながっていく部分があるわけです。僕も子どもたちの不登校を機に、自分自身について考えたり、見つめなおしたりすることが増えましたし、結果的に休めるようにもなりました。
思い返せば。
確かに不登校は
「やっかいな問題」だった。
思い切りジタバタもした。
でも、そのおかげで今がある。
自分が本当にやりたいことは
この仕事なんだろうか?
この生き方なんだろうか?
本当の、根本のところはどうなんだ?
そう問い直すきっかけにもなった。
なかなかね、そこに至るまでには
紆余曲折がつきものだとは思うのだけど。
自分自身と向き合う良いきっかけ。
子どもの不登校を、そう捉えられたら
いいですよね。
今日も良い1日を。
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むらきち本人です(笑)
不登校新聞のぼくのインタビュー記事をを取り上げていただきありがとうございます♪
ぼくの話した意図を汲んでいただいた感じでとても嬉しいです。
このブログのカテゴリーにも「ギフト」という言葉が使われていて親しみを感じました。
なんと!
ご本人から直接ご連絡がいただけるとは!
光栄です。
滅茶苦茶端折ってのご紹介でしたが、そう仰っていただけてよかったです。
ありがとうございます!