僕が本格的にタバコを吸い始めたのは18歳の時、
一人暮らしを始めてからだ。
大学生の時はハイライトを、社会人になってからはセブンスターを1日2箱吸った。
当時、気楽にどこでも買える銘柄で、一番ニコチンとタールの強いタバコがそれだった。
1日40本吸っていた訳で、それこそ起きている間はずっと吸っている、そんな感じだった。
やめる前に一度、時間をはかってみたことがある。
いったい勤務時間中に自分は何分間、タバコを吸っているのか?と。
結果。
会社にいる時間のうち、75分、
実に1時間15分!
僕は喫煙所にいた。
今にして思えば、あり得ないと思う。
いくらなんでもサボりすぎだ。
当時は喫煙者同士の「業務上の情報交換」「インフォーマルな打ち合わせ」などと称して正当化したものだけど、相当苦しいな、コレ。
***
朝起きて顔を洗うと、必ず咳が出た。
「毎朝あなたの咳がマンションの中庭じゅうに響き渡ってるよ。もういい加減タバコやめたら?」
と何度もうちの奥さんに言われたけど、
当時は「起き抜けすぐは、誰しも多かれ少なかれ咳が出るものだ」と真剣に思っていた。
世の中の禁煙の風潮も高まっているし、常に喫煙所を把握する必要があるのがストレスだったけど、
20年間続いた中毒症状を治すのは、もう不可能なんだと諦めていた。
実際、何度も喫煙を試みたことがあるけど、どう頑張っても1週間も続かなかった。
多分もう、死ぬまでやめられないな、と。
***
そんなこんな、忍介が5歳になる直前のことだった。
ある夜、扉を開けて「ただいま」と言ったらそこに彼がいて、ギャン泣きしながら「お父さん、死なないで!」と言う。
訳が分からず「どうした?何があった?」と聞くも、しゃくりあげつつ「タバコやめて!死なないで!」とひたすら言い続ける忍介。
うちの奧さんに聞くと、なんでも直前にテレビで”ためしてガッテン!”を見たそうで、いかにニコチンが健康に悪いか、タバコの害を知ったらしい。
そして、このままだとお父さんは死んじゃう、お父さん死んじゃイヤだ!と。
これは、本当にこたえた。
誰に何を言われても辞めなかった僕だけど、結局これをきっかけに20年来の悪癖を改めることができた。
ひとえに忍介のおかげだ。
本当に今でも彼には感謝している。
***
ただ、思い返せばかなり思い込みが激しいというか、すぐにパニクるなど、極端なところはこの頃からあったなあ、と。
忍介が不登校になった後、半年間かけて色んな検査をした。
最終的な診断としては、
1)書字主体の学習障害(LD)
2)広汎性発達障害(PDD)軽度
があることが判明した。
僕の悪癖断ちには大いに貢献してくれたのだけど、忍介は小学校に入った後、色々と苦しむことになった。
***
次回から、忍介が不登校になった後、僕が自分の両親にあてて書いた経過を説明するメールを連載します。
何年も前の話ではあるけど、不登校に直面した僕らがどういうことに迷い、戸惑い、そして考えを変えていったか、その詳細な記録になっています。
今悩んでいるあなたの気づきやヒントに、少しでもなれば幸いです。
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