不登校インタビュー事例集
『雲の向こうはいつも青空』。
Vol.5でお話くださった、
NPO法人優タウン代表の小沼陽子さんの
記事がアエラに上がっている。
以前小沼さんには『豆マメ通信』でも
優タウンのご活動も取材させてもらった。
今回の記事は小沼さんご自身が、
高校進学にあたっての息子さんの
変化について書かれている。
とても参考になる方は多いと思う。
こういう「体験記」って
本当に貴重だと思う。
ぜひ全文お読みになってみてください。
そして、ここからは自分語りデス。
いや、小沼さんの記事のこの部分は
本当に「コレだ!」と個人的に思った。
不登校である息子の姿は、私自身に「本当にこの生き方でいいのか」を突きつけていた。
「私にとって一番大切なことは何か?」
「今、私は何に時間を使うべきか?」
「今後のキャリアはどうしたいか?」
息子が不登校になり、私は毎日そんなことを考えていた。
僕は小沼さんのように、明確に
こういう言語化はできてなかった。
でも息子の不登校をあれやこれやで認めて。
文科省認可ではないスクールへ通う息子を
毎日毎日見ていると、なんだかどこか、
やっぱり突きつけられるものがあった。
「僕はきっぱり、学校はやめたよ」
「嫌な場所へは行かない。そう決めたんだ」
「とにかく他人に決められるのは嫌なんだ」
「自分の人生は、自分で切り開くんだ」
「で、お父さんはどうなの?」
「僕はきっぱり、学校はやめたよ」
「毎日毎日イヤな思いをして会社行って
残りの人生、そうやって生きていくの?」
もちろん、実際に息子が
そんなことを口にした訳じゃない。
でもその「背中」は確実に
そう言っているように僕には見えた――。
と、こうして今だから言葉にできる。
でも息子の不登校から数年、
ずっとそういう自問は思い返せば
通奏低音として自分の中に流れていた。
そして2017年の夏。
どうにもこうにも苦しくなって、
転職活動を始めた。
カウンセラーにもかかった。
でもどっちも僕にとっては
残念ながらうまく行かなかった。
むしろ酷い目にもあった。
うまく行かない。八方塞がり。
そんな半年弱。
朝、営業会議のことを思うと
電車の中で動悸と眩暈がする。
別に会議で誰かにめちゃくちゃに
ガン詰めされる訳じゃない。
でも自分が勝手に作り出した申し訳なさで
頭がおかしくなりそうだった。
思えば完全に自分で自分を責めていた。
「このまま行くとまずい」
そしてある日、ポンとヒューズが飛んだ。
あれは冬に差しかかった
寒い、晴れた水曜日の朝だった。
「ごめん、もう会社辞めるわ」
玄関でうちの奥さんにそう宣言した。
まだ次の転職先も決まってなかったけど
オフィスに着いてすぐ退職願を出した。
突然だったし、もちろん引き止めにあった。
こちらとしてもそれは想定内だったから、
すぐに民法627条を持ち出した。
辞めるのはもう4社目だから慣れたものだ。
迷惑がかからない範疇で引き継いで、
とにかく1日も早く抜け出したかった。
ああ、あの頃を思い出すと本当に辛いな。涙
いまだに当時のことは夢に見るもんな。
でもおかげで自分で勝手に作り出した
申し訳なさに苦しまない、幸せな今がある。
話が長くなった。
要するに息子のおかげ、
不登校という名のギフトだなあと。
いつもの感慨です。
あと最後に、もうひとつだけ。
自分からやりたいと言ってはじめる勉強は吸収がものすごく早くて驚いた。勉強とはこういうものなのかと実感した。
コレ、うちの息子を見ててもそう思う。
本当にそう思う。
びっくりするから!
いや、真面目な話。
なのでみなさん、ご安心を。
逆に言うといかに我々がイヤイヤ、
やらされて勉強してたのかがよくわかる。笑
やる気になったときの人間はすごいデス。
今日も良い1日を。

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