辛い経験を乗り越えることが必要だ、
と巷ではよく言われるけれど。
本人が望んで乗り越えることが
一番大事だと思うんだよね。
学校に行けない。
でもなんとか通うようになった。
それを本人が望んでのことなら
まったく問題ない。
ぜんぜん問題ない。
でも往々にして本人ではなく――。
親が望んでのことだったりするんだよね。
僕が「◯週間で再登校します」
に激しく反発するのも、そこのところで。
再登校を子どもが望んでいる。
それを支援するのならまだしも。
子ども本人が自分から
再登校を望んでのことじゃないから。
それは結局、親が望んでのことなんだから。
だから違うって言っている。
仮に親が「支援」を受けた結果、
◯週間で子どもが学校に戻ったとしても。
それじゃあ、
乗り越えたことにも何にもならない。
親の歪んだ成功体験がひとつ、
生まれるだけだ。
そう、親の勝利でしかないのだ。
苦しめられてるんだよ、子どもたちは!
再登校こそが善、という世間の価値観に。
何が言いたいか?
辛い経験を乗り越えるとか何だとか。
それも確かに大事なことだ。
でも大人が勝手に設定してるものじゃ、
まったく意味がないと言いたい。
本人が望んでのものであることが一番大事。
もう一回書いちゃう。
本人が望んでのものであることが一番大事。
もうひとつ。
あえて厳しいことを乱暴に言います。
親はね、「見守り沼」で文字通り
のたうち回る必要がある。
【問い】いつまで?
【答え】子ども本人が望むまでは。
いや、本当に。
こっちの方が数百倍も難しいことだから、
共感されにくいし、そもそも
絶賛悩んでいる人には響かないだろうな、
とは思いつつも一応、書いてみた。
あなたに届くといいのですが。
今日も良い1日を。
P.S.
と・は・い・え。
先の見えない見守り沼は辛いですよね……。
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