「ああ、これわかるぅ」と思って読んだ。
新幹線の車内で過ごす時間。
それは楽しく愉快で祝祭的なものだった、
と振り返る話だ。
本当にそうだったよね。
昭和のひかり号には食堂車もあったし、
出発すれば車内全体、そこかしこが
普通に宴会ムードだった。
今はどうなのか、わからない。
でも思い返せば17年前くらい、
大阪にショールームを出すプロジェクトで
しょっちゅう大阪に出張していたころ。
金曜日の19時過ぎの新大阪発・東京行きの
上り電車の乗客はほぼ全員サラリーマンで。
金曜日の19時過ぎの新大阪発・東京行きの
あの時間帯に限って言えば、
昔懐かし昭和のひかり号ノリがすごかった。
出発するや否や、ビールの缶を開ける
「プシュッ」という音が車内中、
そこかしこでコダマのように鳴り響く。
なんならおつまみの匂いに混じって
革靴脱いじゃったおっさんたちの
大量の足の匂いまで車内に充満した。
怒涛の1週間の全てを終えた。
あとはビール飲んで、少しうたた寝て
家族の待つマイホームに帰るだけ。
面倒な報告も嫌な会議もどうせ週明けだ。
今はもう知ったこっちゃないもんね!
あの時間帯の車内の解放感はすごかった。
問答無用の「おっさん天国」だった。
って懐かしいな。笑
という個人的な平成の思い出はさておき。
昭和のひかり号時代の新幹線に話を戻す。
僕が完全に納得したのはこのくだりだった。
じゃあいったい新幹線の何に、そして何処に俺らがそんな特別な感じを感じていたのかと言うと、それは勿論、それの規格とか、それの速さとか、それの料金とか、いろんなことがあるのだろうけれども、その中でもっとも大きかった、感覚に直接的に訴えてきたのは、そのピカピカな点にあったように思う。
あの頃の国鉄の駅は大きな駅も小さな駅も、産業的な雰囲気というか、全体的にくすんで暗い印象だった。ゴミや吸い殻も散乱していた。鳩が傍若無人に歩き回り、人の顔を見て、クルクルポッポ、など言い、行き交う人の服装ももっさりして垢抜けなかった。ところが。
新幹線の改札を通り抜けた瞬間、すべてがツルツルピカピカで、別世界であった。すべてが未来的、清潔で鳩も居らず、歩いて居る人もみなシュッとして、所得も高そうに見えた。つまり普段、文化住宅に住んでいる人間が急に五つ星ホテルに宿泊したような、爆上がる感じがあったのである。
「ああ、これわかるぅ」って思うのは
きっと団塊ジュニア以上の世代の
人たち限定、だとは思うけど。
すべてがピカピカで爆上がる感じ、
かつてあったよね。新幹線には確かに。
「これわかるぅ」が振り切れ過ぎたので
思わず紹介した次第。
時が経ち、のぞみ号が走るようになり、食堂車もワゴン販売も廃され、駅を含めて町全体、世の中全体がビカビカになって、新幹線のピカピカはそれほど目立つものでなくなった。集団より個人が尊重されるようになって、列車の中で騒ぐ六人連れも激減し、みんな二人席で前を向いて静かに個食している。これからもいろんなことが変わっていくのでしょうよ。
確かに今はみんな二人席で
前を向いて静かに個食しているよね。
あと外国人乗客と馬鹿でかい
スーツケースも目立って増えてる。
気づけば景色は全然違う。
そう、これからもいろんなことが
変わっていくのでしょうよ。
――という感慨で終わります。
今日も良い1日を。
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