20歳からひきこもっていた中村秀治さんは
25歳のとき、東日本大震災の
被災地ボランティアに従事した。
「何か困りごとはありませんか」
仮設住宅を訪問して、
必要な物資を聞いてまわる。
人間関係がきつくてひきこもった中村さん。
見知らぬ人と話すことは緊張の連続だった。
チャイムを押そうとすると手足が震える。
それでもなんとか訪問活動を続けた。
そんな中。
「もう支援はけっこうです」
と、あるおばあさんは
中村さんにそう言った。
そう思う理由を伝え、嗚咽しながら
絞り出すようにこう付け加えた。
「あなたがここにきてくれて嬉しい」と。
とっても読み応えのある記事だった。
そして、あれから10年経った今。
ボランティアから戻った35歳の中村さんは、
以前と同様にひきこもり生活を送っている。
定職についていない、現役のひきこもりだ。
その点は、変わっていない。
ただ心境には変化があった。
――と、どんな話だったかはぜひ、
全文お読みいただくこととして。
書き手の不登校新聞・石井志昂さんの
この最後の一節が、僕にはとても良かった。
話は逸れますが、世間には「どう変わるべきか」という情報が溢れています。生活スタイルをどう変えれば、よりよい生活になるのか。人への話し方をどう変えれば仕事の能率が上がるのか。子育ての方法をどう変えれば子どもの学力は上がるのか。そのメッセージの一つひとつを否定する気はありませんが、裏を返せば「変わらないとダメ」「変わろうとしない人はもっとダメだ」と言われている気になります。中村さんのように「変わらない自分」を引き受けること。これも生きづらさを突破するカギになるかもしれない。幸せに向かう一つの方法かもしれない。中村さんの話を聞いているとそう思えてなりません。
「変わらない自分」を引き受けること。
なるほどなあ、と思った。
確かにきょうび、なんでもかんでも
「どう変わるか?」
が前提になりすぎている気がする。
「大改造!劇的ビフォーアフター」
じゃないけど、万事、変わることは、
派手だし、新しいし、わかりやすい。
そう、わかりやすいのだ。
でもわかりやすく変わらなきゃ、
本当にダメなのか?
「変わらない自分」を引き受けること。
それも幸せに向かう
一つの方法かもしれない。
そう捉えると少し、俯瞰してものごとを
見られるようになる気がしませんか?
今日も良い1日を。
記事を読んで何か感じることがあれば、ぜひコメント欄にご意見やご感想をお寄せください。
更新の励みになります。バナーのクリックお願いします!
コメントを残す