僕はやっぱりこれ

 

 

 

今日は思い出話です。

2011年1月3日、朝8時。

僕は小田急線の片瀬江ノ島駅にいた。

江ノ島から箱根湯本まで、距離は42km。

もちろん、走り切るつもりはない。

それは前年、禁煙を機に走り始めた
初心者ランナーには、あまりに危険すぎる。

でもどうしても42kmという距離を
自分の脚で移動してみたかった。

2kmをゆるく走る。
そのあと1kmを歩く。

それを14回繰り返すことにした。

そしてその日は僕が初めて
箱根駅伝を直接見た日にもなった。

江ノ島から湘南海岸を進んでいくと、
前方に人だかりがしている。

ちょうど平塚中継所に7区の選手たちが
飛び込んでくるところに出くわした。

別に急ぐ旅でもない。

なので、その日は選手たちの
襷リレーの一部始終を見た。

びっくりしたことは3つある。

一つは選手たちの速さ。

襷リレーの局面だからみんな
超絶ラストスパートしている。

これは間近で見るとド迫力で、
本当に胸が震えた。

二つ目は日テレの実況アナのテンション。

脳みそ吹っ飛ぶくらい絶叫する。

――かと思えば、ひとたび
選手たちが行ってしまうと「シーン」。
そして選手が来るたびにまた絶叫。

テレビで見てる分には違和感はない。
でも現場で見てると傍目にちょっと笑えた。

三つ目。
各校の監督たちの「オラオラ」声援、
これには心底、驚いた。

選手たちの後ろの車から監督が声を掛ける。
この声かけが、けっこう酷くて。

「オラオラオラオラ」

何を言ってるのかよくわからない。

でも選手を励ますつもりで
彼らが大声を出しているのはわかった。

最近の箱根駅伝中継では、この監督たちの
声かけを放映でも聞かせるようになった。

ちょっと前、駒澤大学・大八木監督の

「男だろ?」「男なら行け!」

という、この声かけが炎上したけれど、、、

15年前に僕が平塚で聞いた各校監督の
声かけはそんなもんじゃなかった。

ただただ「オラオラ、うぎゃー」と
みんな絶叫しているだけだった。

思い返せば、時代は変わったなあ。

何が言いたいか?

昨日も午前中TVにかじりついていたけれど。

やっぱり僕は青学の原監督が好きだ。

原監督の声かけの第一声はいつもこうだ。

「そうそうそうそうそうそうそうそう」

劣勢にあっても優勢にあっても、
彼は必ず選手にこう言う。

「そうそうそうそうそうそうそうそう」
「いいよ、いいよ、行けるよ、行けるよ」

必ず全肯定だ。

僕は「男だろ?」も否定はしない。

選手と監督の密な関係性があればこそ、
成り立っている言葉だろうし、
だからこそ魂の底から奮い立つのだろう。

でも走って苦しんでいるとき、
何と声をかけられたいかと言えば、
僕はやっぱりこれだ。

「そうそうそうそうそうそうそうそう」

全肯定。いいよね。

ちなみに。

2011年の1月3日。

7時間以上かけて僕は
箱根湯本にたどり着いた。

「よし、行ける!」

これで4月の初マラソンは完走できる。
そう手応えをつかんだのだけれど、、、

いかんせん、気合が入りすぎた。

その一月には1週間で100kmも走ったりして、
かかとを痛めて走れなくなってしまう。

そして夢見た4月のかすみがうらマラソンは
その前月の東日本大震災で中止になった。

僕が初マラソンを走ったのは
その半年後の河口湖マラソンだった。

ああ、あれはもう15年も前の話なんだな。

「そうそうそうそうそうそうそうそう」

はい、思い出話でした。

今日も良い一日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在20歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。