陳腐で当たり前の、
なんてことはない感傷を書きたい。
そういう気分なので――。
と、あらかじめお伝えしてから書く。
昨日のお昼。
お寿司を食べたいなと思って、
郵便局に寄ったついでに久々に
廻るお寿司屋さんに一人で行った。
息子が通った幼稚園の近くにある、
チェーン店のお寿司屋さんだ。
幼稚園の催しごとが土曜の午前中にあって、
それが終わった後によく
お友達家族と一緒にここに寄った。
いつも同じような家族がいっぱいで、
入口に名前を書いて待つことになった。
思えば楽しい時間だった。
待つ時間だって楽しかった。
大勢の子どもたちの声。
大勢の大人たちの声。
待つ間、走り回ってはしゃぐ子たち。
さんざめく店内。活気ある雰囲気。
あれからもう13年経った。
当時できたばかりで新しかったこの店も、
長い年月を経て少しくたびれて見える。
なにより、平日だから仕方ないのだけど、
あの頃の土曜日とは違って閑散としている。
店内はまばらで、お客は年配の方たちだけ。
もちろん、子どもなんか一人もいない。
頭ではわかってる。
幼稚園の催しごとがある土曜のお昼には、
きっと今も当時と同じ雰囲気になるだろう。
僕が感じたのはもっと別の淋しさだった。
こうしてすべては流れていく。
それはわかっていることだ。
頭では全然、わかりきってる。
でも二度とは戻らない時間なのだ。
何が言いたいか?
一見すると、人生は
プレシャスな時間の連続には見えない。
どちらかと言うとアンチクライマックスで、
さまつな雑事の堆積に見える。
でもだからと言って、
決して粗末に過ごしてはいけないなと。
あの土曜日の昼の活気。
当時の僕は13年経って
まさかこんな感慨を持つとは
夢にも思っていなかった。
廻るお寿司屋さんでの、ただのランチ。
そんなふうに思っていた。傲慢にも。
と・い・う。
最初にも書いた通り、
当たり前のなんてことはない感傷でした。
さあ、今日という日を存分に味わおう。
良い1日を。
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