早く馴染め

 

 

 

1993年のドーハの悲劇のときは
まだ、どこかミーハー気分で見ていた。

最後のあの瞬間を見るまでは。

アジア最終予選を毎試合欠かさず
真剣に熱烈応援し始めたのは、
1996年のアトランタ五輪のときからだ。

初戦は確かイラク戦だった。

理由は忘れた。

でも司令塔である背番号7、
キャプテン前園真聖は欠場だった。
これは痛かった。

でもその代わりを務めた
背番号14番に目が釘付けになった。

問答無用のものすごいスルーパスを
バンバン、延々と繰り出し続ける。

「この14番、前園より全然いいじゃん!」

それがまだプロになったばかりの
ベルマーレ平塚の中田英寿だった。

そして史上初のアジア予選突破がかかった
サウジ戦は本当に血管破れるかと思った。

それ以来――。

アジア最終予選は数々のハラハラドキドキ、
毎回毎回ドラマの連続だった。

97年のフランスW杯アジア最終予選では、
僕は韓国にもマレーシアにも応援に行った。

ってくどくど純ちゃん昔話ばかり書くけどさ、
(オッサン感、全開だぜ!)

いったい何が言いたいの?

はい。
正直、今の日本代表が強過ぎて、
アジア最終予選がつまんない!!!

いや、一応応援してるよ。

でもね、むしろ昨日はちょっとだけ
インドネシアを応援しちゃった。

本当に憎たらしいくらい強いよね。

でもって憎たらしいくらい強い、
という我らが代表のセルフイメージに、
僕はどうにもこうにも馴染めない。

そう、馴染めないのだ。

なんせ過去30年間、

「アジア最終予選は毎回必ず
苦しみもがいて突破するもの」

という固定概念が染み付いているから。

こんなに簡単に突破していーのかね?

ってなかなかすぐには変われないんだよね。

学校も、不登校もそうだ。

なかなかすぐには変われない。

でも日本代表にかこつける訳じゃないけど。

もうすでに変わっているんだよね。
時代も、自分たち自身も。

だからすぐには難しくとも、
新しい時代に馴染む努力が必要だ。

誰もが安心して通える学校。

それを目指すことも、もちろん大事だ。

でも現実問題、100%は難しい。
フィットしない子たちは確実にいる。

であるならば、やっぱりそこを
スタートラインにしないといかんです。

あと時代は変わっているのでね。

「憎たらしいほど強い日本代表」

にも早く馴染め、ジュンイチ!笑

しかしもう代表はリアルタイムで
応援する必要、まったくないね。

それもなんかちょっと淋しいな……。

今日も良い1日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。