小6のサッカーチームの娘。
はっきり言って、上手くない。
「本気で走ればもっと走れるはず!」
なのにいつも遅いし、すぐ諦める、
それでボールを持つの繰り返し。
親が良かれと思って助言をすれば
「無理! 頑張ってる!」と突っぱねる。
娘は頑張らないくせに、
文句ばかりは一丁前に言う。
どうしたら親も子ももっと楽しめますか?
という相談が面白かった。
アドラーの「課題の分離」とか、
後半いろいろ出てくるので
ご興味ある方は全文ぜひ。
僕が面白いなと思ったのは、ここだ。
走らないのではない。
「走れない」のかもしれない、
という最初のくだりだった。
どういうことか?
私の息子もサッカーをしていましたが、走れない子でした。他の選手が一生懸命走っているのに、ひとり下を向いたまま歩く姿にこちらはあきれ果てていました。
一緒にビデオで観ながら「なんで地面見てるの? ボール見なきゃダメじゃん」と怒っていました。
ところが数年前のことです。高校から部活動のエンジョイサッカーに転換し成人した息子が「俺、小学生のころ、なんであんなに走れなかったのか、わかったよ」と言ってきました。
アメリカ大陸でも発見したかのように目を輝かせています。息子はフォワードでした。私は「きついのが嫌だったんじゃないの?」と冷たく言い放ちましたが、違っていました。
「動き方がわからなかったんだ」
サッカーの成り立ちがわからなかった。コーチは走れ、走れと怒るけれど、どこをどう走ればいいかわからなかった。高校くらいから少しずつ分かり始めたけれど、成人して海外のサッカーをたくさん見るようになって、よりサッカーの戦術眼が磨かれたそうです。
よって、現在草サッカーを楽しんでいますが「小中学生のころよりも、いま走れるんだよ」と嬉しそうに言うのです。
これ、目からウロコな感じじゃないですか?
親もコーチもつい、
「この子は頑張ってない」
と嘆きがちだ。
他の子あんなに一生懸命走っているのにと。
それで「走れ走れ」怒ってしまう。
確かにがむしゃらにボールを追いかける図は
人の心を打つ。
頑張ってる。ひたむきだ。よくやっている。
それにひきかえ――。
で・は・な・く。
「動き方がわからない」
「どこをどう走ればいいかわからない」
そういう悩みを抱えている
可能性もあるのだ、と。
考えもしないで「走れ走れ」怒ってるよね、
親も、コーチも、大人ってみんな。
「走れ走れ」怒るのは簡単だ。
「頑張れ頑張れ」励ますのは簡単だ。
でもどこを、どう走ればいいのか?
それちゃんと教えているのか?
わかりやすく伝えているのか?
「走れ走れ」
「頑張れ頑張れ」言う前にね。
胸に手を当ててみることも、
ときには必要かもしれないと。
思った次第。
いや、しかし昨夜のフロンターレの
家長のライン際の激走にはグッと来た。
さあ、日曜は味スタに乗り込むぞ!
今日も良い1日を。
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