世代的に決定的に違うところ
中学一年生の時に
ゼビウスに狂った。
大学三年生の時に
ストリートファイターⅡに狂った。
社会人になると
バーチャストライカーに狂った。
ファミコンのゼビウス以外は
ゲームセンターでリアルに向き合う
対戦型のゲームで、一回100円だった。
ストⅡには少なくともウン万円、
たぶんバーチャストライカーには
十万円以上は余裕で使ってたと思う。
いずれにせよ。
タバコ臭いゲーセンで、リアルに100円を
チャリンチャリンさせながらプレーした。
僕にとってゲームはゲームセンターで
誰かと対戦するものであって、
家の中で一人でやるものじゃなかった。
ゲームは自己防衛
たぶん世代的に決定的に違うのは
ここなんだろうと思う。
特に今の学校が辛い子たちにとって
ゲームの持つ意味合いは僕の場合とは
まったく次元が異なっている。
- ゲームがなければ自殺していた
- ゲームばかりするのは唯一の自己防衛だから
- 唯一の自己防衛であるゲームを子どもから取り上げるのは極めて危険
ともすれば親はゲームを取り上げようとか
制限しようとか、安易な発想に陥りがちだ。
でもそういうレベルでどうこうじゃない。
解消させるべきは孤独
そして個人的にはこの部分が響いた。
孤立して家にいる状態では、ゲームが唯一のものになっていきます。
教育のシステムを多様なものにして、学校以外の場で育つことができるようにしてほしいと思います。
大人になってからも、他人への信頼感が低ければ、人付き合いが減り、外出の頻度が少なくなります。
新たな出会いがなければ、ゲーム以外で、自分の好きなものを知っていく機会もありません。
私にとってゲームは、孤独を作り出す原因ではなく、孤独に対する救済でした。
若者の問題において、解消させるべきターゲットは「ゲーム」ではなく「孤独」であると思います。
解消させるべきターゲットは
「ゲーム」ではなく「孤独」。
本当にその通りだなあ、と。
思った次第…。
今日も良い1日を。
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