今日は10月1日。
つまり、2025年という耳慣れない年も、
もう残りあと4分の1となった。
暗い話で申し訳ない。
でもこうして年月を重ねると思う。
いつか自分は死ぬ身なのだ、と。
いつか・必ず・死ぬ。
僕もあなたも子どもたちも、誰でもすべて。
例外は一切ない。
「そんなのつまんない」
と思うのは、お子ちゃまランチだ。
「永遠に生きることが幸せじゃない。限りある命だからこそ人は精一杯生きるし、思いやりや優しさもそこに生まれるんだ」
小学生のときに出会った、
銀河鉄道999の星野鉄郎のこの言葉。
これは本当に脳味噌深くに焼き付いている。
あれ?
俺、何が言いたくてこう書き出したのか、
鉄郎のこと書いてたら忘れちゃった。笑
そう、死ぬことだ。
「親が先に死ぬんだから……」
これは不登校・ひきこもり界隈で
よく聞くワードだ。
確かに親が先に死ぬだろう。
「それなのに、このまま家にいて
働けずにいて、一体どうなるのか」
という嘆きが続く。
で、自分も老い先短い身の一人として、
今はあえてこう思う。
それでもいいじゃないですか、と。
働けなくて生活保護を受給する。
それでもいいじゃないかと。
彼・彼女が自分を責めてさえいなければ。
最近思うのだけれども――。
きっと一番辛いのって、
自分で自分を責め続けることだよね。
自分で自分を許せない。
あるいは自分の人生に納得がいってない。
もしそういう状態であるならば。
たとえ働いて結婚してお家ぶっ建てて
沢山がっぽり稼いでいても、多分、
死ぬときはかなり切ないことになると思う。
最後に死ぬときには。
そうではなく、、、
俺は俺で、それでいい。
私は私で、私なんだ。
そう思えて自分の好きで歳月を過ごせて。
最後は「ああ、楽しかった」
と思って死ねるなら。
そっちの方がずっといいと思いませんか?
人生たった一度きりなんだから。
つまり、何が言いたいかというと、、、
やっぱり本当に大切なのは本人の
ウェルビーイングなんじゃないかと。
ウェルビーイングさえ確保できてれば、
きっとなんとかなる。
現実の経済的な状況とかじゃないんだと。
他人が外から見てどうか、じゃない。
本人の内面がどうであるのか?
もっとそこにフォーカスしたいよねと。
そう思ったんです。
今日は10月1日だなあと考えたとき。
脱線したけど戻ってこれたぞ。笑
思いやりや優しさを持って精一杯生きる。
そして「楽しかった」と笑って死ぬ。
誰かに評価されるんじゃない。
人にどう思われるかは関係ない。
自分が自分の人生を確実に生き切る。
とにかく最大限、満喫しきって死ぬ。
これは僕の願いでもある。
僕もあなたも子どもたちも、
みんながそうあれますように。
今日という日も大切に生きたいよね。
大切なのはウェルビーイング。
良い1日を。

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