昨日紹介した『不登校大全』の余熱で。
「登校させたいという煩悩」
コレきっと親のみなさんにはあるよね。
僕もありました。
ありましたとも!
だからいっぱいやらかした。
その煩悩を振り払って――。
一旦は子どもを学校に
行かせないことに決めた。
すると、周りは必ずこう言ってくる。
「では、子どもが将来、『仕事が嫌だから行かない』と言ったら、行かせないんですか?」
「甘やかしていると、将来本人が困るのではないですか?」
「子どもを学校に行かせるのは、親の義務ではないのですか?」
なぜだか知らねども!
ギクっとなるんだよね、
こういう言葉って。親にとっては。
だから本田先生が即座にこう
否定してくださるのがとても心強い。
このような言葉に耳を傾ける必要は、一切ありません。
「学校に行きたくない」と打ち明けてくれた子どもの意思を尊重し、子どもに休養をとらせたいと判断するのは間違いではありません。
ここは親が「登校できなくてもかまわない」というくらいに腹をくくって、淡々と平和に過ごしていると、子どももリラックスするようになります。そうすると、子どもも「休みたい」とか「明日は行ってみようかな」と言いやすくなるのです。
いや、なかなか。
胸が熱くなりませんか?
まさに「言下にぶった斬る」の図!笑
登校できなくてもかまわない。
腹を括って淡々と平和に過ごす。
本当にね。
これに尽きるのだけれど、
これはこれで実に難しいのがまた、
親という種族の悩ましさでもあって。
でもね、マイフレンド。とにかく
あなたは間違ってないです。大丈夫。
そしてここからは、、、
なぜギクっとなるのか、
僕なりの分解を試みる。
「では、子どもが将来、『仕事が嫌だから行かない』と言ったら、行かせないんですか?」
これもね、非常に巧妙な質問だと思う。
なぜか?
「大人は嫌なことも我慢してやっている」
という暗黙の前提に立っての質問だからだ。
あなたも私もちゃんと我慢してますよね?
それが社会の立派な一員ってものですよね?
そんな安易な逸脱を認めていいんですか?
そういう余計な軽い脅迫を含んでいる。
だから「うッ」と詰まってしまう。
でもね、嫌なら仕事しなくていいんですよ。
本当は。
やめちゃえ、やめちゃえ。
仕事なんて。イヤなんだったら。
それが本来であるべきじゃないですか?
どうして嫌なことを
我慢することがそんなに美徳なの?
それを僕ら大人自身も問う必要がある。
「甘やかしていると、将来本人が困るのではないですか?」
これもまた、非常に巧妙な質問で。
「将来本人を困らせないようにする。
それが親の務めというものですよね?」
またそういう余計な軽い脅迫を含んでいる。
答え:将来困るのは本人に決まってます。
でもそれでいいじゃない?
それの何がいけないの?
そもそも本人の選択を尊重しているのに、
それを「甘やかし」と勝手に決めつける。
質問なのに自分の価値観紛れ込ませてる。
本当に巧妙なテクニックだとも思う。
「子どもを学校に行かせるのは、親の義務ではないのですか?」
これはもう、
「義務教育の誤解」の最たるもので。
本気でそう思っているなら蓑田雅之さんの
『おはなしワクチン』を読んでください。
余計な軽い脅迫。
今もそれが不登校界隈にはあふれてる。
誠に残念ながら。
本当に罪なことだと思う。
でもね、今だからこうやって
俯瞰して分解できるけど、、、
渦中のときは僕も無理だった。
信じて見守る? 寄り添う?
何を甘いこと言っちゃってるの?
あえて厳しいことを言うけど、
世間てのはですね、そんな――。
と、心の中では思ってた。
思ってましたよ。やっぱり。
なのでね、ここは本当に難しいこと、
それがよーくわかるのでね。
しつこいけどあれこれ、
僕なりの余熱の補足なんでした。
今日も良い一日を。

記事を読んで何か感じることがあれば、ぜひコメント欄にご意見やご感想をお寄せください。
更新の励みになります。バナーのクリックお願いします!
コメントを残す