まーだうっすら筋肉痛が少し残ってる。
やっぱり今朝もジョグは
お休みしたほうが良さそうかな。
ということで、日曜日の余韻でもう少し。
(A)見通したほうが良いことと。
(B)あえて見通さないほうが良いことと。
それぞれあると思うんだよね。
どういうことか?
見通したほうが良いこと。
それは例えば42kmという全体を踏まえて
ペースをしっかり管理することだ。
1kmあたりわずか10秒のオーバーペースも、
後半には着実に大きく響く。
だからできる限り、特に前半は
設定したペースを愚直に守る。
これは、42kmの恐ろしさを
身に沁みているからこそ、の話だと思う。
これは(A)見通したほうが良いこと、だ。
でも逆もある。
(B)あえて見通さないほうが良いことだ。
日曜日は30kmで一旦心が折れかけた。
「残りあとまだ12kmある……」
大きく見通せば、確実に最後まで持たない。
そう考えることもできた。
でも老獪な純ちゃんはあえてそうしなかった。
そう考えれば敗残兵ゾンビになるからだ。
「もうあと1kmだけ」
「あと1kmだけ、頑張ろう」
そうやって自分に言い聞かせた。
愚直に目の前の1kmだけに意識を集中した。
戦略的に残りの距離を見通さなかった。
ただただ積み木のように1kmを並べた。
先のことはまったく考えずに。
あえて見通さないことを続けた。
そして、不思議なことに。
無心にそれが積み上がってくると、
じわりじわりと潮目が変わってくる。
具体的に言えば38km地点で
集団の前に出る力が湧いた。
いや、体力的には消耗していた。
完全にこれは精神的なものだ。
「残り12km」なら絶対に見通せなかった。
でも「残り4km」になったら、
今度は逆にまた見通せるようになった。
何が言いたいか?
いやコレ、不登校と似てるなあと思って。笑
特に僕を含めた「お父さん」がた。
ついつい、大きく見通してしまうんだよね。
学校へ行けない、となると――。
→ 勉強が遅れる
→ 集団生活になじめなくなる
→ 受験・進学に差し障る
→ 社会性が身に付かない
→ 就職もままならない
→ ひきこもりへ一直線
そういう大きな見立てだ。
でもこれって、マラソンと不登校の
10年選手として言わせてもらうならば――。
4km地点で「もうだめだ、全部終わった」と
騒いでいるようなものじゃないだろうか?
「いや、違うだろ。そもそも
フルマラソンを走る奴が特殊だろ?」
「不登校となんの関係があるんだよ?」
という突っ込みはここではあえて無視する。
悪いけど42kmを人生にたとえる。
その後の38kmを走る
=生きるつもりがあるならば。
うまく行かないときこそ、
大きく見通すのではなく。
あえて大きく見通さずに目の前の
1km、1kmを小さく積み上げる。
いや、わかるんです。
大きく見通したい気持ちも。
わかるんですけど、ここはあえて
戦略的に見通さないという手を
取ることも、時に有効なのではないかと。
つまり、学校へ行かず
部屋にひきこもっている状態。
ゲーム三昧の昼夜逆転。
これを一旦まるっと認める。
「そんなことじゃ走りきれないぞ」
「あのな、人生は厳しいんだ」
「甘えてばかりじゃだめだろう?」
そんな叱咤激励よりも、黙って温かく
見守りながら動き出すのを待つ。
その方が得策だと思いませんか?
「今はもう走れない」
と、うずくまってるんだから。
あえて見通さない態度の有効さにも、
思いを巡らせてもらえたら。
ということで――。
まさに「北風と太陽」だとも思うのですが、
今週土曜日の不登校のお話会。
まだまだ残席あります。
なんと参加無料です。
よろしければ、こちらも是非。
今日も良い一日を。
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