たとえ、子どもが学校に行ってなかろうが。
親が明るく楽しく人生を生きる。
親は毎日、笑って過ごせばいい――。
それは、間違いではない。
でもやっぱり思う。
ここに「大いなる誤解」がある。
親が明るく楽しく人生を生きる。
親は毎日、笑って過ごせばいい。
家庭があったかい状態であればいい。
そうすればいつかきっと、子どもは
自分の力で立ち上がるハズだから。
――そういう誤解があると思う。
親が明るく楽しく生きる。
(↑これは姿勢)
そうしてさえいれば、きっとうまく行く。
(↑これが誤解)
厳しいことを言うようだけれども。
それは、残念ながら保証されてない。
そのままずっと部屋に
ひきこもったままかも知れない。
僕が思うのは、、、
親が明るく楽しく生きていれば、
悪いことは起こらない。
そういう楽観主義を言いたいのではない。
例えば親が何か、どうこうしたから――。
(例えば明るく楽しく生きることにした)
だから物事はうまく行く、
という保証はまったくないんです。
まったくない。
大切なのはそのまったくない、
ということをまず受け入れるんです。
ある意味、親としての自分の無力さ。
それをしみじみと受け入れる。
そこがスタート地点なんじゃないかと。
きっとうまく行く。
そういう保証はないんです。
誠に残念ながら。
あるのはただただ「祈り」だけ。
親にできることは何もない。
いや、厳しい話なんですよ。
できることなんて何もないんですよ。
苦しい話なんですよ。
だからせめて、どうせだったら。
日々を明るく過ごす方が
マシじゃないですか?
どうせ何をやったところで
うまく行く保証なんて、
どこにもないんだから。
うまく行く保証はない。
「じゃあ、ナンですか、
絶望のバッドエンドしか待っていないの?」
ううん、もちろんそんなことはない。
それは、これまで80人近くの人に
たっぷりとインタビューしてきた。
それも僕らと同じ、市井に生きる
ごくごく身近な人の事例ばかりだ。
その実感から「違う」と思っている。
不登校には特効薬も最適解もない。
でも絶望のバッドエンドだけではない。
むしろ、普通にみんな今日を暮らしてる。
ただその途中の道のりや長さは
本当に人それぞれだ。
だからいつもここで言っているし、
自分にも毎度言い聞かせている。
「大丈夫マイフレンド」と。
何が言いたいかというと、、、
親が無理して明るく楽しく
振る舞う必要はないよ、ということです。
無理して明るく振る舞う。
(そうすれば事態は好転するハズだから)
このカッコ内の「そうすれば」の
思惑というか下心があるうちは苦しいです。
そしてたぶん、その下心は
子どもにも全部バレてます。
僕が言いたいのは――。
そういう下心抜きで、本気で
腹を括りましょうよということだ。
「明るく振る舞えば、うまく行く」
そんなことはないんです。
でも、だからこそなんです。
「まず、親が幸せになる」のが大事だと。
長期戦なんです。特効薬も最適解もない。
そのネガティブさに負けちゃいけない。
正解の無さに耐える強さが必要なんです。
本気で腹を括るんです。
付け焼き刃じゃだめなんです。
辛いんです。苦しいんです。
だからこそ日々をハッピーに過ごすための
「工夫」をしていく必要がある。
情報と繋がりが大事になってくるんです。
うーん、うまく伝わるかしら?
あー、自分の文章力のなさが歯痒いぜ。
よくわからない、という方はぜひ
びーんずネットのお散歩会に参加ください。
直接会ってお話した方が
断然通じやすいとも思うので。
来月の散歩会は四国で開催しますのでね。
お近くの方、よろしければぜひ。
歩きながら一緒におはなししましょう!
今日も良い一日を。
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