「母親という役割」を全うしすぎない

 

「わかるわぁ」と思って読んだ。

元看護師で今は不登校カウンセラーとして
活動する鳥丸由美子さんの話だ。

当初、不登校になった息子に対して
鳥山さんは「怒り」を感じていたという。

どんな怒りか?

怒りは、やるべきことをやらない彼の態度に対するものです。詳しくいえば、『自分が勤労者としても家庭人としても頑張っているのに、義務を果たさない長男が許せない』という類の感情です

そうなんだよね。

自分は頑張ってる。

なのに、あんたは何よ?

朝から晩までゲーム三昧。
子どもの仕事は勉強でしょ?
やるべきこともやらずにもう!

という怒りだ。

濃淡こそあれ、誰しも不登校初期に
感じる気持ちじゃないだろうか。

でね。

僕が一番「ここだよな」と思ったのは、

「母親という役割」

を全うすることに疲弊していた、
というくだりだ。

私の母がそうであったように、家庭のなかで母親という役割を求められたり、あるいは自分でその役を引き受けたりする場面がありました。大それたことではなく、日常の細かい話です。たとえば唐揚げが1個残っていたら自分が食べたくても子どもに譲るのが母親、みんなで買ってきたケーキも全員が選択しおわったあとで残りを食べるのが母親――という、極微小な我慢の積み重ねが疲弊を招いていたんだと思います。

事実、私のところにカウンセリングにいらっしゃる方のなかには、リフレッシュのためのコンビニのコーヒー1杯すら自分には与えていない人が多いです。まずは、母親が率先して人生を楽しむことが必要だと私は思います。日常を私が楽しめば、長男が義務を果たしていないからと目くじらを立てて険悪になることもなかったんですよね

そうなのだ。

お母さんはいつも家族優先で
自分のことが後回しなのだ。

母親という役割を全うする。
それで日常が全部埋まってしまってる。

見聞きするにそういうお母さんは
本当に多いと思う。

でもそこから脱してほしい。

そこから脱するいい機会なんだよ、
子どもの不登校は。

残った唐揚は食べていい。
ケーキだって先に選んでいい。

いいんですよ、お母さん!
家族に譲る必要なんてないんです。

最後の鳥丸さんの言葉もめちゃ沁みた。

本来、誰しも幸せになるために生まれてきているのに、いつしか苦しみながら幸せになろうとしていますよね。幸せになるには苦しみが必要だと信じて疑わない人もいます。正直、私もそう思っていたかもしれません。けれども真実はまったく逆で、楽に生きることで人生は楽しくなるんです。そして母親であっても、本当の自分で生きることを諦めないでほしいと思っています。義務感で塗り固めた母親が無理矢理子どもを変えようとしても、うまくいきません。もっと自分やお子さんの魅力や才能を見つけるポジティブな目を持って人生を生きてほしいと私は思っています

真実はまったく逆。
ラクに生きることで人生は楽しくなる。

母親であっても
本当の自分で生きることを諦めない。

本当に、そう思います。

あなたに届くといいのですが。

今日も良い1日を。

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ABOUTこの記事をかいた人

1972年生まれ。 息子は小学三年生の時に不登校になり、小・中学校には通うことなく卒業しました(現在19歳・大学生)。 不登校や親子関係の悩みについて、セミナーや講座をお届けする「びーんずネット」の事務局を担当しています。趣味はマラソン。不登校をテーマにしたインタビュー事例集『雲の向こうはいつも青空』や各種書籍の出版をしています。