本好きな人なら多分ご存知だろう。
「一冊入魂」の出版社・ミシマ社。
代表の三島邦弘さんが書いた
『出版という仕事』を読んだ。
あ、不登校とは全く関係ない話です。
(念のため)
中でも個人的にはこのエピソードが
ダントツで面白かったので昨日、
うちの奥さんと大学生に披露した。
ときは1913年、大正2年。
岩波茂雄は東京は神保町で
古本屋を営んでいた。
そう、今に続く「岩波書店」は
もともとは古本屋さんだったのだ。
その本屋を閉店した岩波は、今度は
本格的に出版社をめざすことにした。
「せっかくやるのだから、当代随一の作家にたのもう」
こう考えた岩波茂雄は、『坊ちゃん』『吾輩は猫である』などですでに国民作家となっていた夏目漱石のもとを訪ねます。そして、大胆な依頼をします。
「先生、いま朝日新聞で連載の『こころ』。あれを私のところで出していただきたいのですが」
しかも、資金がないので、費用は漱石に出してほしいと言います。
これに対し、文豪は、
「よかろう」
とまさかの返事。
なんと。まだ商業出版で1冊も出したことのない出版社に、新聞連載の原稿を渡すと確約したのです。漱石の太っ腹と茂雄の腹の据わり具合、いずれも爽快で見事というほかありません。
「へえ!!!」
と思いませんでしたか?
でも続けて僕が読み上げたこの部分。
これに対するうちの奥さんの反応が
僕には目からウロコだった。
ただし漱石はひとつ条件をつけます。
「装丁デザインは僕がします」
もちろんこんな言葉遣いではなかったでしょうが、漱石はいわゆる著者装、自装を希望します。
僕は装丁(本のデザインのこと)は
漱石が気まぐれで言ったくらいに捉えた。
でもうちの奥さんは言う。
「よっぽどそれまでの自分の本の
装丁が気に入ってなかったのね……」
あっ、なるほど!!!
そういう捉え方もあるのか。
自分の本のデザインに内心、
不満を抱えていた文豪と。
まだ実績も何もないくせに実に
大胆な提案をしてきた新米出版社と。
そこで思惑が一致した。
――のかも知れない。
あるいは、僕が最初に感じたような
ただの気まぐれなのかもしれない。
いずれにせよ。
今や日本の出版業界随一のお堅い、
謹厳実直イメージの岩波書店だけど。
茂雄ちゃん、なかなかやるじゃんね!
この「はじまりの物語」を知って
俄然、岩波書店がかわいく思えた。
そして教訓。
ダメ元でもなんでも時には大胆に
希望を言ってみることって大事だよね。笑
ちなみに。
さすが、漱石は書籍のデザインを
自分で申し出ただけあると思う↓↓↓。
文豪ちゃんも、なかなかやるじゃんね!
よし、俺も頑張るぞ。
今日も良い一日を。
記事を読んで何か感じることがあれば、ぜひコメント欄にご意見やご感想をお寄せください。
更新の励みになります。バナーのクリックお願いします!




















コメントを残す