「学園祭では仲間と団結したなあ」
「修学旅行は今も楽しい思い出だ」
「卒業式は一生に一度のものなのに」
それにひきかえ、うちの子は(はぁ……)。
というような思いを持つ人も多いと思う。
僕自身の思い出、について言えば。
小さいころは足が遅かった。
かけっこはいつもビリだった。
小学3年生の時、あるきっかけがあって
毎朝家族で毎日近所を走るようになった。
一年間、毎日、毎日欠かさず走った。
おかげで4年生の運動会の
徒競走で初めて1位になった。
自分でも驚く、小さいけれども
輝くような成功体験だった。
まあ、それがあるのでね。
息子が小学3年生で不登校になった後。
何年かは近所で運動会があると
少しだけ残念な気持ちになった。
運動会で元気に走る我が子が
やっぱり見てみたかったからだ。
でもね、今や不登校歴10年超の
ベテランを自認するようになった。
学園祭や修学旅行、卒業式といった
学校行事にどうしても心が揺れてしまう。
今、そんな気持ちに
なっている人に言いたい。
それって割と単なる幻想ですと。
つまり、ないならないで全然問題ない。
本人もないからといって特に困らない。
「経験できなくてかわいそうだ」
と親は思うけれども。
10年以上、学校という場に縁が遠かった
我が家の大学生を見てて本当に実感する。
騎馬戦も修学旅行も先輩後輩も、
彼は一切経験していないけれど。
ぜんぜん普通に大学生やっている。
なんというか――。
海外で育つ子たちってみんな多分
こんな感じなんだろうと思う。
つまり騎馬戦も修学旅行も先輩後輩も、
日本だけの特殊な事情じゃないだろうか?
そして僕らの世代はそれを経験してきて、
少なからぬノスタルジーを感じている。
そう、これは我々のノスタルジーなのだ。
意外と「ただそれだけ」だったりする。
ただそれだけ。
と、割り切れば――。
「経験できなくてかわいそうだ」
という思いは持たなくてすむし、
そのうちぜんぜん気にならなくなる。
「卒業式は一生に一度の経験」
「成長した姿に涙が止まらない」
むしろそういう親の勝手な盛り上がり方を
見せられると逆に冷めるようにもなります。
「ぜんぶ日本だけの特殊な行事」
なんでもかんでも海外がいい、
とは言いたくありませんが。
そうやって割り切るのもひとつかと。
「それがすんなりできたら苦労しねーよ」
と言いたくなる気持ちも、
一方でよーくわかるんです。
なのでね、大事なのは情報と繋がりです。
情報は記事やびーんずネットの書籍を。
繋がりは僕らの散歩会や地域の親の会で。
しっかり取って、作っていきましょう。
大丈夫マイフレンド。
今日も良い1日を。

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