「これだよね」と思って読んだ。
中学生の娘は不登校。
発達障害があり、絶賛反抗期で
家で大暴れする。
父親は子育てに無関心。
母親は高学歴のバリバリのキャリアだった。
ただ娘のために仕事を辞めた。
親として「やるべきこと」は
熱心に全部やった。
それでも何もかもうまくいかない。
警察を呼ぶくらい娘が暴れる。
こんなに見苦しいわが家を
どうすればいいのか?
とにかくなんとかしてほしい……。
子どもの問題を1人で抱え込んでいた。
そして著者のクリニックに
藁をもすがる思いで辿り着いた。
もう読んでいるだけで胸が痛くなる話だ。
それまではとにかく娘を怒らせないように
腫れ物に触るように過ごしていた。
「お母さんのすごしたいように
すごしてみたらどうですか」
とクリニックで提案されたとき、
思い浮かんだのはずっと我慢していた
旅行のことだった。
「娘を置いて旅行に行くなんて!」
と最初は思っていた。
けれど思い切って実際に行ってみたら
意外にも何事もない。
むしろ娘は留守中、おだやかだった。
暴れることもなかった。
そして母親に心の余裕ができてくると、
少しずつ物事は変わっていく。
娘が暴れることも減って、
家の中に平穏が戻ってきた――。
本当に不思議なものだけど、
そういうものなんだよね。
親というのは、「子どものために」と熱が入りがちです。ただし、ここでも忘れてはならないのは、子どもが成長していく根底には、なによりも安心が必要だということ。とくにお母さんが笑っていてくれると、子どもは「自分はここにいてもいいんだ」という安心感を得られるものなのです。
ご飯や住む場所を与えられるという物質的な豊かさも大事だけれども、子どもに安心や安全などの精神的な充足感を与えることは、もっと大切です。子ども時代を安心できる家庭ですごすことで、少しずつ社会の中で安全な居場所を見つけることができる、自分の世界を広げていくことができる、それが本当の意味での自立ではないでしょうか。
もしも親に役割があるとしたら、やはり子どもにとって一番安心できる存在になるということに尽きると私は思っています。
もしも親に役割があるとしたら――。
子どもにとって一番
安心できる存在になるということ。
これだよね、これ。
とにかくまずは、
「子どものために」とか
「親として」よりも、その前に
「自分がすごしたいようにすごしてみる」。
いーんです、それで。
旅行もどんどん行っちゃいましょ。
そう、磐田とか、大分とかね。笑
今日も良い1日を。
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