もう随分前の話だ。
詳細は端折るのだけど、
どうにもこうにも辛くて、切羽詰まって、
続けて何日か会社をズル休みした。
ちょうど長野オリンピックのころで、
布団ひっかぶって1日中テレビ中継を見た。
休むことでみんなに迷惑をかけている。
納期タイトなプロジェクトだらけだった。
「金子が休みだぁ?どうすんだよコレ!」
きっと今頃、職場は阿鼻叫喚なんだろう。
それはわかっていた。よくわかっていた。
でも、どうしても行けない。
自分が担当していた数多くの仕事を、
ただでさえキャパ満杯なのに
必死で尻拭いしてくれてる人たちを思うと、
申し訳なさで心拍数が上がり、涙が出た。
迷惑どころじゃない、大迷惑そのものだ。
けれど、意思に反して
どうしても身体は動かない。
今思えばだけど、もしかしたらちょっと
うつっぽかったかもの知れない。
結局会社は無理やり辞めた。
全部放り出して、逃げるように辞めた。
なんかね、思い返せば自分にも
そういう経験はあったのだけど、
息子が不登校になったときには、
そういう彼の辛い心持ちが最初は
まったく理解できていなかった。
「冬休み明け、3学期からがんばろう」
お風呂の中で小学3年の息子に諄々と説いた。
学校は社会の縮図だ。
今ここでくじけたら、この先ずっと
くじけ続けることになる。
頑張れ負けるな――そんな思いでいた。
能天気というか、親の傲慢というか。
ベネッセの教育情報サイトの
不登校新聞編集長・石井さんの記事、
の中のこの言葉、
「夏休みなのに心の登校が続いている人」
を読んで、かつての自分が思い浮かんだ。
学校には行っていないけれど心では登校しようとしている、さらにいえば心の登校ですらうまくできなくて疲れてしまうのです。周りから見れば、一歩も家から出ていないし何もしていないようなのに、どうして?と思われるかもしれませんが、子どもにしてみれば必死であがいた結果、疲れてますます動けなくなってしまうのです。
キツくて身体が動かない。
でも心の中では登校が続いている。
必死であがいて、疲れてますます
動けなくなってしまう悪循環。
思い返せば僕もそうだった。
物理的に会社は休んでいたけど、
心の中では出社が続いていた。
そういう状況って、やっぱりある。
そういう状況がやっぱりある、
ということを、どこか、心の片隅に置いて、
みんなが、お互いが、思いやれたら。
世の中ぜんたい、少しは
楽になるんじゃないのかな?
返す返す、息子の辛い気持ちを汲まず、
無理やりしつこく登校を促したりして
本当に申し訳ないことをした。
ネタ切れの翌日は、これまたやらく
センチメンタルな話ですみません……。
今日も良い1日を。
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